原文:【プロ野球】「本当はもっとマウンドにいたい……」。
翻譯者:dd103,原載於Ptt Baseball板。

【プロ野球】「本当はもっとマウンドにいたい……」。
高津臣吾、22年の選手生活に幕

「其實,還想在投手丘上繼續待下去……」。
高津臣吾22年的選手生涯終於畫上句點

大田誠(テレビ朝日 Get SPORTS取材班)
●文 text by Ohta Makoto(tv asahi Get SPORTS crew)
スポルティーバ
●写真 photo by Sportiva


高津臣吾

2012年9月22日、新潟県長岡市悠久山野球場。この日、今シーズンからプロ野球独立リーグ、BCリーグの新潟アルビレックスベースボールクラブを率いる、背番号22の高津臣吾選手兼任監督が、22年間のプロ野球現役生活に幕を下す引退試合が行なわれた。

2012年9月22日,新潟縣長岡市悠久山棒球場。這天要舉行的比賽,是本季在職棒獨立聯盟中BC聯盟的新潟天鵝之皇隊擔任選手兼監督,背號22號的高津臣吾選手,即將為22年職棒生涯畫上句點的引退賽。

日本プロ野球でヤクルトスワローズ不動の抑えとして、通算286セーブを挙げ名球会入り。アメリカメジャーリーグでは、シカゴホワイトソックスなどに所属し、通算27セーブを記録。さらに、韓国プロ野球で通算8セーブ、台湾プロ野球でも通算26セーブ。そして、BCリーグ新潟アルビレックスでは、通算16セーブを挙げた。

在日本職棒養樂多燕子隊擔任球隊不動的守護神,生涯286次救援成功的成績早已讓他加入名球會。在美國大聯盟也曾於芝加哥白襪等球隊登板,拿下27次救援成功。甚至在韓國職棒也曾拿過8次救援成功,在台灣職棒也有總計26次救援成功的紀錄。至於在BC聯盟的新潟天鵝之皇隊,則有16次救援成功的紀錄。

日本、アメリカ、韓国、台湾、4カ国すべてのプロ野球を経験したのは、日本人でただひとり。プロ野球生活22年で通算363個ものセーブ数を積み重ねてきた、偉大なる抑え投手である。

曾在日本、美國、韓國與台灣四個國家全都打過職棒的日本球員,就只有他一人而已。22年的職棒生涯總計拿下363個救援點,稱得上是位偉大的救援投手。

新潟ベンチに置かれたホワイトボードには、「絶対に負けられない日がある!!」の文字。

在新潟隊休息區的白板上,寫著「這天絕對不能輸!!」的字樣。 

選手、コーチ、スタッフ、チーム全員で誓った思いが書き込まれていた。さらに、BCリーグ史上最多となる、6664人の観客がスタンドを埋め尽くす。

包括選手、教練跟工作人員,全都把自己的想法寫在上面。而這天的觀眾人數也來到6664人,創下BC聯盟史上最多觀眾進場的紀錄。

4回にホームランで3点をリードされ、重苦しい空気が流れる中、5回にフォアボールやワイルドピッチなど相手のミスにつけ込み、一挙9点を奪い逆転すると、続く6回にも1点を追加する。その後3点を返されるものの、4点差で迎えた8回、ついに高津がブルペンへと向かう。これが、選手として本当に最後のブルペン。しかも、球を受けるのは、ヤクルトで苦労をともにしてきた古田敦也。この瞬間、満員のスタンドがどよめいた。


雖然在四局被揮出全壘打,一度落後三分,球場的氣氛也變得異常凝重。但五局馬上在對手控球不穩的狀況下,藉由四壞球與暴投等一口氣拿下九分逆轉戰局。六局更追加一分保險分。雖然之後被追回三分,但在領先四分的八局,高津終於緩步走向牛棚。這是他以選手身分最後一次踏入牛棚。而且在那裡等著幫他練投的,是曾經在養樂多與他同甘共苦的知名捕手古田敦也。眼見此景的滿場觀眾立刻歡聲雷動。

引退会見で、「すごく難しい問題をキャッチャー古田さんと解いていく作業は、野球ってすごく難しいなと思いましたし、難しいですけど、その場所はすごく大好きでした。でも、難しいバッターを抑えることがもう経験できなくなると思うと、すごく寂しい気持ちでいっぱいです」と語っていた高津に対し、古田も「高津の球を受けるのは久しぶりで、込み上げてくるものがありました」と、その熱い思いを語った。

在退休的記者會上,高津表示「如果碰到非常棘手的狀況,總是會跟擔任捕手的古田桑一起討論,這樣的情景總讓我覺得棒球實在是一項很困難的運動。雖然很困難,我卻非常喜歡待在這樣的地方。只不過,當我想到自己再也沒辦法站在那裡,思考要如何解決強打者,只要一想到這裡,心中就會有股難以言喻的寂寞之情。」對此,古田則是以「我已經很久沒有接捕高津投出的球了,心中實在是感慨萬千。」這樣的話語訴說自己心中的感動。

そして、9回2アウト。スタジアムに鐘の音が鳴り響くと、スタンドを埋め尽くす観客が一斉に立ち上がり、背番号22、我がチームの守護神を大歓声で送り出す。マウンドでは、内野手と中山投手コーチが待ち受ける。高津がキャッチャー平野進也に「ノーサインでいいよ」と伝えると、「ノーサインでは捕れないです」と平野が返す。マウンド上に笑顔が広がった。


於是,比賽來到九局下半兩人出局,當球場響起鐘聲時,球場邊的觀眾全部站了起來,用最熱烈的掌聲與歡呼聲歡迎背號22號,球隊中最值得信賴的守護神登場。內野手跟中山投手教練都等在投手丘上,高津對捕手平野進也說「不打暗號也無所謂」,平野卻回說「不打暗號的話我接不到啦」,投手丘上頓時瀰漫一股歡樂氣氛。 

しかし、投球練習を始めた瞬間、厳しい表情に変わる。

但當他開始進行投球練習的瞬間,表情馬上變得嚴肅起來。 

「野球が大好き、マウンドに上がるのが大好き、相手と真剣勝負をするのが大好き。ただそれだけで一生懸命やってきた」

「我真的很喜歡棒球,很喜歡登上投手丘時的感覺,也很喜歡跟對手用盡全力一決勝負的感覺。我就只是因為這樣的想法,始終在投手丘上奮戰著。」

ずっと、そう言い続けてきた高津は、9回最後ひとつのアウトを取る難しさを知っている。そして、22年間その瞬間を誰よりも楽しんできた。だからこそ、最後まで真剣勝負。

高津總是把這樣的話掛在嘴邊,因為他深知要拿下九局最後一個出局數,是多麼困難的一件事。而且在這22年之間,他始終比誰都享受這樣的瞬間。所以,直到最後都要竭盡所能與對手一決勝負。

対するバッターは、信濃グランセローズの4番、原大輝。初球、外角へのストレートが高めに外れボール。2球目、内角高めへナチュラルにシュートするストレートで、バッターをのけぞらせるも2ボール。3球目、外角高めのストレートを原がフルスイングするがファウル。4球目もファウルとなって、カウント2ボール2ストライクとバッターを追い込む。

對上的打者是信濃羚羊隊的第四棒原大輝。第一球是外角偏高的直球,第二球則是自然以噴射球軌跡進入本壘板附近,讓打者本能往後縮了一下的內角偏高直球。兩記直球之後,一記外角偏高的速球讓全力揮擊的原打成界外,第四球也被打成界外,球數來到對打者不利的兩好兩壞。

そして5球目、高津がキャッチャー平野と選んだ球種はシンカーだった。ボールは高々とレフトに上がるが、福岡良州のグラブに収まりゲームセット。

到了第五球,高津與捕手平野都決定用伸卡球一決勝負。這球被打成左外野的沖天炮,輕鬆被左外野手福岡良州接進手套,比賽也就此結束。

高津は、最後のサインを出し終え、涙を流しながらマウンドへ駆け寄る平野を、しっかりと抱きしめ、優しくポンポンと頭を叩いた。スタンドを埋め尽くした観客から、大きな拍手が贈られた。

對於比完最後的暗號之後就忍不住落下男兒淚的平野,高津對走上投手丘的他給了一個緊緊的擁抱,溫柔的拍了拍他的頭。滿場觀眾也響起如雷般的掌聲。

平野が、振り返る。

平野回憶起當時的情景,是這麼說的。 

「(最後は)シンカーが、ウイニングショットとして一番いいボールだと思って選択しました。小さい頃からテレビでずっと見ていて、野球ファンとして、高津さんが引退されるというのが、本当に残念だったので、これが最後なんだなという思いで、涙が出ちゃいました。こんな場面に自分が立ち会えるとは思ってもいなかったので、本当に光栄だと思いますし、忘れられない日になると思います」

「最後的伸卡球,我認為是最適合作為決勝球的球路。我從小就一直藉由電視轉播欣賞職棒比賽,身為一個棒球迷,對於高津桑決定退休的這件事真的覺得非常惋惜,一想到這就是最後一球,眼淚就不自覺地落了下來。我實在沒想到自己竟然能親身體驗這個時刻,真的覺得於有榮焉,相信這會是我永生難忘的一天。」

試合を終え、いよいよ、高津の現役生活がフィナーレに近づいていく。古田とのバッテリーで臨んだ終球式で、最後もシンカーを投げ込んだ。メジャーリーグでともに戦った福留孝介が、この日のために駆けつけてくれた。さらに、2010年に戦った台湾プロ野球選手会からも花束が贈られ、新潟アルビレックスBCからは、背番号22を球団初の永久欠番とすることが発表された。

比賽結束後,高津的選手生涯也終於要畫上休止符。在終球式上依然由古田接捕,最後一球當然也是最具代表性的伸卡球。曾經與他在大聯盟並肩作戰的福留孝介,也特別為了這天來到球場。甚至連台灣的職棒選手工會,也為了曾於2010年在台灣奮戰的他送上花束。而新潟天鵝之皇隊也在此時宣布,隊上的22號球衣將被永久退休。

そして、高津が誰よりも愛し、心の支えとしてきたふたりの息子からの言葉。

然後,比誰都喜歡高津的兩個兒子,也在場上對父親訴說自己的想法。 

「パパ22年間お疲れ様でした」と伝えた長男に優しい笑顔を返した高津だったが、「パパと同じマウンドに立てるように頑張りますので、応援よろしくお願いします」と二男が伝えた瞬間、それまでこらえていた涙が、一気にこぼれ落ちた。スタンドで見つめていた妻も、頬を伝う涙を、ぬぐい続けていた。

「爸爸,這22年來您辛苦了。」對長子的這番話,高津以溫和的笑容回應。但當次子說出「我希望未來能像爸爸一樣站在投手丘上,希望大家幫我加油打氣」這番話時,始終強忍住的淚水終於決堤,站在觀眾席的妻子也不斷拭去雙頰上的淚珠。

そして最後は、涙をこらえながらの引退スピーチ。

最後則是忍住淚水發表的退休感言。 

「今日、たくさんのお客さんの前で引退試合を行なうことができました。選手生活22年、素晴らしい人に出会い、素晴らしい仲間と野球ができ、素晴らしい思い出をたくさんもらいました。これらはすべて僕の宝物です」

「今天,在眾多觀眾的陪伴之下,完成了這場引退賽。在這身為選手的22年之間,我與許多好人邂逅,與很多優秀的夥伴一起在球場上奮戰,也有了很多值得珍藏一輩子的回憶。這一切都是我最珍貴的寶物。」

ここで、およそ8秒間の静寂がスタジアムに流れると、スタンドから「高津がんばれ!」の声援が沸き起こる。そして高津が、再びゆっくりと話し始める。

這時球場鴉雀無聲,大概持續了八秒之久,等到觀眾席上冒出「高津加油!」的聲援之後,高津才緩緩地繼續說下去。

「夜も眠れない時や、すべてを投げ出してしまいたい時もありました。もしあの時、辞めていたら、こんなに辛い思いをせずに済んだのではないかと思う時もありました。ただ歯を食いしばり、いろんなものを犠牲にして、我慢して、頑張って、今日を迎え、僕が今までやってきたことは、間違いじゃなかったと確信しました。これまで、いろんな国で、いろんなリーグで僕に携わってくれた方々、心より感謝します。」

「當我在夜裡輾轉難眠的時候,總是會有想放棄一切的念頭。如果我那時就選擇放棄,以後就不用這麼痛苦了,我也總是有這樣的念頭。但我只是始終咬牙苦撐,作出許許多多的犧牲,不斷忍耐,不斷努力,然後才有了今天的成果。我很確定,自己直到今日所做的任何事情與決定都是正確的。我也打從心底感謝在許多國家、許多不同的職棒聯盟中在旁協助我的人。」

高校、大学と、ずっと2番手投手だった高津は、なかなかマウンドに上がることができず、野球を辞めようと何度も思った。プロ野球選手になり、やっとの思いで自分の居場所を見つけ、通算セーブの日本記録を作るが、メジャーリーグというさらなる高みを37歳で求めたことにより、戦う場所が決まらないという辛い思いを経験する。さらに、長年に渡り貢献してきたと思っていたチームから、突然の解雇通告。そんな、いくつもの辛い時期を支え続け、わがままを聞き入れてくれた家族へのメッセージ。

高津在高中與大學都是球隊裡的第二號投手,始終沒什麼機會登上投手丘,也動過好幾次想放棄棒球的念頭。但成為職棒選手之後,總算找到自己的定位,雖然曾豎立日本職棒生涯最多救援成功的里程碑,但還是以37歲的高齡決定挑戰美國大聯盟這個棒球的最高殿堂,也因此嚐到根本不知道要在哪裡奮戰的苦澀經驗。甚至還被長期以來做出諸多貢獻的球隊突然解雇(譯者按:這是興農牛吧 -_-)。對於總是在困難時刻支持著他的家人,高津也說了這番感人肺腑的話。

「ゴメン。もうユニフォーム姿を見せてあげられない。君たちの応援する姿や笑顔や優しさが、どんなに身体が辛くても、心が折れそうになっても、一番の僕のエネルギーでした。これからは、君たちの野球で、パパとママを楽しませてくれ」

「抱歉,我沒辦法再讓你們看到自己穿著制服在球場上奮戰的身影了。即使已經滿身瘡痍、心靈也飽受挫折,但你們的聲援、笑容與溫柔的心,正是支持我在球場上奮戰最重要的原動力。今後,希望你們也用自己打棒球的身影,讓爸爸媽媽為你們加油打氣。」

「そして最後に……」と、高津が意を決したように話し始める。

「最後……」已經下定決心的高津如此說道。 

「もしひとつだけ願いが叶うなら、またここに帰ってきたい。来年も、再来年も、ずっとマウンドに立ち続けたい。僕は本当に幸せな野球選手でした。本当に長い間、ありがとうございました」

「如果我能實現一個願望,我希望還能回到這裡。明年、後年,甚至是更久以後,我都想一直站在這投手丘上。我真的是一個非常幸福的棒球選手。長期以來支持著我的各位球迷,真的非常謝謝你們。」

本当は、いつまでも野球を続けたい、マウンドに登って投げ続けたい。これを、悪あがきと受け取る人もいるかもしれないが、本来、野球選手の誰もが、子どものころに野球が大好きになってから、ずっと野球を続けていたいと思っていたのではないか。しかし、プロという厳しい世界では、続けたくても続けられず、若くして苦渋の決断を下さなければならない選手の方が圧倒的に多い。

其實,自己想要終其一生都在球場上奔馳,也想繼續登上投手板投球。雖然也許有人會覺得這樣的說法似乎有種還是割捨不下的感覺,但其實說穿了,不管是哪個棒球選手,都是因為從小就很喜歡棒球,所以才會想要永遠在球場上奮鬥,不是嗎?但是在殘酷的職棒世界裡,就算想打有時也無法如願,年紀輕輕就只得作出令人扼腕的決定,這樣的選手可說是不計其數。

高津も最後の5年間は、引退という2文字と隣り合わせのまま、韓国、台湾、新潟と渡り歩いていた。それでも、現役にこだわり大好きな野球を続けてきた。さらに、そこで改めて野球の楽しさを知り、野球の難しさを再確認することができた。だからこそ、どんな形であれ、夢を諦めず挑戦し続けてほしい。そして、もっともっと野球を好きになってほしいという、若い選手たちへのメッセージにも聞こえた。

在高津選手生涯的最後五年,他也一直跟「退休」這兩個字比鄰而居。足跡踏遍韓國、台灣與新潟等處,就算這樣,還是想要以選手的身分繼續打著自己熱愛的棒球。而且也在這樣的經歷之下,逐漸了解棒球的有趣之處,也更能感受到棒球的困難之處。正因如此,不管是在什麼樣的狀況下,都不會放棄自己的夢想,向自己的目標挑戰。在這其中也隱含對年輕選手的勉勵之情,希望他們不要忘記自己是因為熱愛棒球,才能站上這樣的舞台。

高津の現役生活は幕を閉じたが、野球が終わったわけではない。独立リーグ日本一という次なる目標へ向かって、すでに走りだしている。

雖然高津的選手生涯畫上句點,但比賽是不會因此停下腳步的。他將繼續以獨立聯盟的日本冠軍為目標繼續努力下去。

「本当の目的というのは、ここ(引退試合)ではなくて、監督として彼ら(選手)を一人前に育てることが、僕のひとつの大きな仕事だと思っています。それは必ず、去年の(日本一逃した)悔しさを、今年の喜びでカバーできるように最後まで全力で戦っていきたいと思います」

「其實我真正的目標並不是這裡(指引退賽),而是以監督身分把他們培育成優秀的棒球選手,這才是我最重要的工作。因此,今年一定要用奪下冠軍的喜悅,取代去年無法拿下冠軍的悔恨,直到最後一刻都要努力不懈的拼戰下去。」

永遠の野球小僧、高津臣吾の戦いはまだ続く。

永遠的棒球小子‧高津臣吾,他的戰爭才正要開始。

■引退賽影片:




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